鎌倉太郎のプロジェクトB

 

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投稿者:ミシェル
キラキラ鎌倉さんキラキラ

長い間 お邪魔して申し訳けありませんでした。本日、愛美さんのサークルと連絡が取れました。
ありがとうございました。
投稿者:愛美
鎌倉さん お邪魔します すいません

ミシェルさんへ 膨大な内容ですが分かりやすく解説してあるので嬉しいです
選ぶ本も分かりやすいです。知らないことは入りずらかったんですが、広範囲に書いてあるのですんなりと取り掛かりやすいです。ありがとうございます。聖徳太子の実在説は、直木孝次郎先生の本に取り掛かっていたところですが、なかなか難しくて進みませんでしたが、すごく分かりやすく書いてあるので、直木先生の方も分かりやすくなりました。架空の人なんて悲しすぎますから実在の人で良かったです。聖徳太子が温泉好きだったの、普通の人みたいで嬉しいです。その時代に温泉があったんだとびっくりしました。「救世観音」見に行きたいですが
期間限定みたいですね。「アオイホノオ」のあの有名な大学が近いなんて用明天皇陵も隣だし、法隆寺の次に行ってみます。
手代木勝任のことは、実はまだまだ分担しても追いつかなくて、すいません。唯、龍馬が変な人だというのが分かってきました。
蝶々夫人のことは、そういうことだったんですね。ご家族にしたら辛いです。女紋は知らなくて、調べると母親から受け継ぐんですね。
トミーのことなんですが、みんなが気になる気になると言うので実は先に調べてみました。そして皆で泣きました。今度グラバー邸に行ったら日本庭園に行ってみます。
郵便のことなんですが、考えたこともなkったです。これは大変なヒントになると顧問が飛び上がって喜んでます。清風亭会談と一緒に私達も調べてみます。

ミシェルさん
いろいろありがとうございます
まだいっぱい教えて頂きたいことがあります
連絡をサークル一同首を長くして待ってます
よろしくお願いします

鎌倉さん
長い間ご迷惑をおかけしました
すいませんでした
ありがとうございます
投稿者:ミシェル
キラキラ鎌倉様キラキラ
お邪魔します

愛美さんへ
訂正があります。グラバーが19才で日本に来たと書きましたが、21才からでした。すいません。

龍馬に関して不思議に思っている事が二つあります。清風亭会談なんですが、現場で記録したかのような書き方をした物が残っていますが、当時の物ではないらしい。随分後になってから作られたものだとか。当時の物があったらどんな内容だったんでしょう。

もう1つは龍馬の手紙は現在140通残っています。京都から高知まで郵便料金はいくらだったんでしょうね。脱藩している龍馬には公用便は使えない。飛脚を使うと3・4日+船賃。知人に頼むんならまだしも、一通につきかなりのお金がかかっているはず。人によったら壱両から参両かかると言ってますが、乙女姉さんに送った手紙など大金を払ってまで届ける必要のある内容なのか。パトロンがいたのか、あるいは脱藩はフェイクで公用便が使えたのか。山内容堂ならやりそうな事だし、容堂宛の手紙のついでに乙女姉さんに送ったと考えたら納得出来ますし。
徳川慶喜の側近に西周(にし あまね)という人がいて、彼は細かい家計簿を残しているので、奥様が個人的に使った郵便代などないかなぁと思ったんですが、ほぼ全て暗号で書かれていて まったく理解出来ず!!

以上で大体ご質問にはお返事できましたね。これからも愛美さんと一緒に 勉強したり考えたりして行きたいんですが、このままではあまりにも鎌倉さんにご迷惑で申し訳ありませんし、出来れば直接サークルに連絡を取りたいと模索中です。時間がかかるかもしれませんが 少々お待ち下さいませ!!

投稿者:ミシェル
キラキラ鎌倉様キラキラ
お邪魔します。

愛美さんへ
最後のご質問にお答えします。
佐々木只三郎は龍馬を暗殺したのか・・可能性が高いと思います。諸説ありますが、本人からの証言があり 3人が別々に一致した事を証言しているのは この説だけです。手代木勝任は晩年に自家伝の中で弟に龍馬暗殺を命じたと書き残し、今井信郎は自白。佐々木只三郎は鳥羽伏見の戦いで戦死しますが、臨終の際に龍馬暗殺を自分が殺ったと伝えたそうです。龍馬が生きていたら鳥羽伏見の戦いはなかったと考える人も多いのですが 皮肉な事ですね。と、考えると松平容保の命によるという事ですね。
先日 書きましたが、手代木は明治に入って高知の役所に赴任しています。しかも、どうやら阪本家の近くに住んだらしい、まだ家族も生存中だというのに。平気だったのか。そんな時代だったからか。で、手代木を調べたんですが 調べれば調べる程 真面目で実直で 会津藩の為、未熟な松平容保の為 財政が困窮する中 走り回っています。会津藩といえば西郷頼母が目立っていますが、影にこんな人もいたのかと 胸が熱くなったりしました。


まだ続きますので ちょっとお待ち下さいませ。

投稿者:ミシェル
キラキラ鎌倉様キラキラ
お邪魔します。

愛美さんへ
プチ情報
壱…「アオイホノオ」の舞台となった大学から車で5分程の所に聖徳太子の御廟(叡福寺)があります。日本仏教の祖ともいうべき太子ですから日蓮・空海・親鸞等の新仏教の開祖の人達もお詣りしているそうです。
弐…聖徳太子は温泉が好きでした。病弱だったのか、愛媛の道後温泉に長い間逗留しています。六甲山の有馬温泉にも。
参…残念ながら、お札の太子は別人です。太子が在世中に等身大で造られた飛鳥彫刻の救世観音が「法隆寺東院縁起」には『御影』と書かれているので、肖像だと考えると・・・似てない!!


グラバーと蝶々夫人とは全く関係ありません。あの像はオペラ歌手の三浦環さんが蝶々夫人を演じているシーンで、どうしてあそこに置いたのか!?観光の為でしょうね。
オペラではイギリス人ピンカートンと日本人芸者となっている為 グラバーと妻ツル(五代友厚の紹介で結婚した)が調度合ったんでしょう。又、ツルの女紋が蝶ですからね。女紋って蝶が多いですよね。うちも蝶です。でも、お孫さんのライトさんが祖父母の名誉に関わる事として 心を痛めておられるようです。祖母が外国人相手の芸者だったと誤解されるような事はグラバー夫妻への侮辱につながりかねないと。


続きますのでちょっと待って下さいませ。
投稿者:ミシェル
キラキラ鎌倉様キラキラ
申し訳ありません。またお邪魔します。

愛美さんへ
まだお答えしてなかった三件についてですが、まず 聖徳太子非存在説は 中部大学の大山誠一教授が「聖徳太子の誕生」の中で非存在説を主張しています。その説に真っ向から反論しているのが 東北大学大学院の田中英道教授。「聖徳太子虚構説を排す」の中で実在を主張し、1つ1つを丁寧に覆しています。それをこの場に書き込む事は、私にとって至難の業ですので この二冊を読んで頂けるのが一番かと思いますが、たとえば、大山教授は法隆寺は奈良時代に建立されたとしていますが、法隆寺に使われている材木が飛鳥時代のものと科学的に証明された事。大山教授が奈良時代以降のものとした「三経義疏」の中の「法華義疏」は747年に題箋が付けられたという説を用いていますが、この題箋と本文が同じ筆跡で書かれており、又 日本の事が「大委国」と書かれていて「委」を「い」ではなく「わ」と読んでいる所から「推古朝遺文」と同じ読み方で かなり古いものです。「日本書記」では「い」と読んでいます。このような理由から推古天皇時代のものである事。また 「上宮聖徳法王帝説」も大山教授は奈良時代のものとしていますが、奈良時代以前の資料も多く含む事。「法華義疏」は講義の下原稿と考えられ「日本書記」に推古4年に皇太子が「法華経」を講じたと書いている事やこの時代に法華経を講義できる人が聖徳太子以外いなかった為 岡本宮で聖徳太子が法華経を講義したと結論付けています。
等々から、多くの研究者も実在説の方が有力だと考えているようです。
私は勿論実在したと思っています。只、名前は厩戸皇子 又は上宮王で 聖徳太子は号・没後の名前だったと思います。
実在説の本は沢山出版されているので 読んでみて下さい。

続きますのでちょっと待って下さいませ。


投稿者:愛美
ありがとうございます
龍馬がこんなに難しいとは思ってなかったんです スパイ説もあったりしてびっくりしています やっぱりスパイだったんですか?上海に行ったって本当ですか?
五代友厚は割と大学に図書がありました。でもなかなか読むまではいかないです 時間nが本当になくて 
グラバーについては グラバー邸しか知らなくて勉強になりました。グラバーw調べることでいろいろ分かってきそうですね。蒸気機関車が長崎が先だったんですね。新橋横浜間だと思ってました。グラバーって蝶々夫人のモデルの人じゃなかったですか?国に帰ってしまったと思ってました。別人だったんですね。グラバー邸を調べたら蝶々夫人の像が出てきました。関係があるんですか?
「トミーの事が忘れられない」って気になります また教えて下さい。
これから龍馬の周辺をやって行こうかな。亀山社中のメンバーや長崎での関係者の人とか。
もう紅葉も始まっているので法隆寺にみんなで行ってみます
よろしくお願いします
投稿者:ミシェル
キラキラ鎌倉さんキラキラ
また勝手にお邪魔してすいません。

愛美さんへ
サークルになったんですね。おめでとうございます。とても良い環境なので 頑張って下さい。

龍馬はイギリスのエージェントみたいな事をしており、隠密めいて奇々怪々な行動をしていますね。消息不明の時期もあり、研究者の間では この間 上海に密航していたと考える人もいる程。行き詰まったら視点を変えてみたらいかがでしょう。たとえば龍馬に多大な影響を与えたトーマス・グラバー。彼は貿易業をしていましたが、長崎(出島)を出られなかった為 諸国の情報やビジネスの交渉を 自由に動ける龍馬に依頼していたのではないかと思います。龍馬の実家 才谷家は商家でしたから 龍馬にも商才があったのでしょう、幕府が長州に武器を売ってはならないとした時 薩摩名義で武器を購入し それを長州に転売。米に困っていた薩摩には長州の米を送っていますね。まぁ、みごと!龍馬はグラバーの期待に答えて行きます(最初だけですけどね、後から変人ぶりが出てきてグラバーも困惑するんですけど)
グラバーは19才から73才で没するまで炭鉱開発や造船所など 日本の発展に貢献した人で 日本初の蒸気機関車は新橋から横浜までを走ったとされていますが、その7年前にグラバーの手により長崎で走っています。400m程ですが。キリンビールの基礎も築きました。キリンは龍と馬が1つになった姿で これは龍馬を意味していると考える人もいますが、グラバーは大宰府にあるキリンの像がお気に入りで、譲って貰って庭に置きたいと思っていたらしいので その辺から来たものかもしれません。
グラバーについて調べていくと本当に興味深いのですが、私は彼の息子トミーの事が忘れられません(会った事はないんですけどね、当たり前ですか)トミーが大切にしていたグラバー邸の中の日本庭園、今は見る人もなく淋しそうです。

他にも いろは丸の事故を仲介した五代友厚なども興味深い人ですよ。
歴史は焦らず!!
頑張って下さい。
投稿者:愛美
すいません
もう一つなんですが、聖徳太子は実在しなかったという説がありますが、どう思いますか
これもご意見を頂ければ嬉しいです
投稿者:愛美
すいません。お邪魔します。

龍馬の矛盾が複雑な様相を呈してきました。
どういうことなのか頭を悩ませています。
この頃の龍馬をどう思いますか
ご意見をお願いします
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