「日本地図あるじゃない!?それぞれ県に分かれてるでしょ?あの、県ってどういうふうに分けられたか知ってる?どういうふうにして境界線が決められたか?」
劇団『民藝』のとある役者さんにこう聞かれる。
「いわゆる『廃藩置県(はいはんちけん)ってやつだよ。日本はその昔、江戸時代約300の『藩』に分かれてたよね。それを今の47の都道府県に変えた時、明治新政府はどうやって300に分かれていたものを47に区切ったかという事だけど、分かる!?『県』てそれぞれ大きさがマチマチでしょ!なぜでしょう?」
「(僕)いや、わかんないっす。新政府軍に味方した所は領土として大きくしてもらえたとか…」
「違うんだな。実はね…」
「(僕)なんですか?なんですか?」
「明治新政府は新しい日本を造る為に古い『藩』を解体して『県』を定める際、全ての都道府県の生産力が一律になるようにしたんだって!地図で見ると、東京はちっちゃいでしょ!でも北海道なんてでーっかい訳じゃん!?でも東京は小さくても他の大きな県に匹敵する生産力がある訳よ!昔は生産力を『石高』で表したでしょ!?『何とか藩何万石』とか言ってさ!その何万石ってのを…確か…70万石だっけかな…どの『県』も70万石の生産力になるように区切られたのが今の『都道府県』なんだってさ!」
へぇー!!なるほど!確かに地図で見れば東京都や大阪府はもちろんの事、名古屋や博多を有する愛知県や福岡県もやや小さめだ。逆に高知県や長野県、宮崎県や和歌山県等そこそこ大きい県はこぞって山が多く昔から開発しにくく生産力の弱い土地である。北海道に至っては今でこそ発展した観光地だが明治の頃はシベリアのように酷寒の未開発な土地だった訳である。
(なるほど…つじつまが合うな…その話は。)
今までは我が故郷が大きい事はなんとなく誇らしく感じたもんだが、この理論からいくと、それだけ大きくもらわないと生産力が満たなかった訳ね…。
さて!あなたの故郷はどうかしら!?裕福?それとも…?

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