「大東京ジャズ Jazz in The Tokyo Great Tokyo Jazz song collection 1925~1940」
">も発売されて一週間を過ぎました。ご購入くださった皆様にはいずれかお気に入りの楽曲または音源が見つかったのじゃないかしら?と密かにどきどきしています。
さて、この「大東京ジャズ」には、実は隠しテーマが設定されています。
実は…などと勿体ぶることはなくて、僕らが作ったぐらもくらぶのCDはいつもひとつのテーマに沿って企画を立てるのですが、かならず選曲や音源の選定に絡めて、こっそり隠しテーマというのを紛れ込ませているのです。
普段はその種の情報はtwitterで垂れ流しにしているのですが、またたく間にTLに流されてしまいます。そこで今回は発売後すこし日も経ったことですし、記事にしてみようと思い立ちました。
発売前の告知記事にも記しましたように、「大東京ジャズ」は7つのグループ分けを通して、戦前ジャズの通史を踏まえて進行します。
この構成、ジャズ史になっているのとは別に東京の玄関口「丸の内メロディ」の丸の内からはじまる、恋人どうしのデートコースを辿る一日のストーリーになっているのです(全曲をストーリーに絡めることは構成上無理ですが)。最初は浅草の帝国館に潜り込んで松竹ジャズバンドの「蒲田行進曲」と、浅草電気館のアトラクション、二村定一と井田一郎指揮の電気館ジャズバンドによる「木曽節」で気分を出しましょう。甘い愛の唄のいくつかがこの日のデートの前触れを告げます。立ち寄るところが多いから、キスなどはここで済ましてしまいしょう(天野喜久代&柳田貞一「赤い唇」)。
昭和初期のことですからデート巡りをする街は銀座、浅草が多めになるのはやむを得ませんが、タクシーや地下鉄を駆使して渋谷、新宿あたりにも転々として遊びにいきたいところです。渋谷にあった航空ポストや昭和5年に新宿に進出した伊勢丹デパートなど、銀座や浅草との風景の違いが歌詞にも描き出されており、これらの地が新興の娯楽地として開発されていた様子を教えてくれます。

午後は日比谷公会堂へ近衞秀麿指揮する新交響楽団の「三文オペラ」を聴きに行きます。日本ではまだ現代音楽の初演ラッシュまっただ中だった昭和7,8年。近衞子爵がひそかに好んでいたジャズを観衆の前で元気いっぱい振った演奏会の後は、1階の
アーカイブカフェで英国製の高級蓄音機を聴きながら贅沢な時間をまったり過ごすのもいいですね。
晩はまた銀座へ繰り出して、カフヱーとダンスホール詣でです。
カフヱーでは銀座裏の名物女主人、「丹頂」の丹いね子と「ジュン・バー」の渡瀬淳子がカフヱー談義(「カフヱーから見た男の味」)をしているのを聞かされたり、女給がテーブルのそばに佇立して斉唱(カフェータイガー よう子・すみ子「君恋し」)というよく訳の分からないサービスをされたりします。
呆れたカップルはほうほうの体でカフヱーを逃げ出し、ダンスホール探訪を試みます。「和泉橋ホール」では名物ダンス教師玉置眞吉のダンス教授を受けてブルースをよちよちと踊ります。玉置眞吉はこのホールで菊池寛や徳田秋聲、吉屋信子など著名人に贔屓にされているので、予約を取るのがなかなか容易でありません。これだけにデートに組み込めたら鼻高々な人物です。バックバンドをつとめる後藤純(bjo, g)のゴトー・エンド・ヒズ・ダンス・アンサンブルの”St. Louis Blues”もダンス客に評判のいい専属楽団で踊りやすくフォローしてくれます。
赤坂溜池の「フロリダ」はさすが東京市下ナンバー・ワンを誇るダンスホールです。白人バンドは1年から2年の契約期間で「ウェイン・コールマン・ジャズバンド」や「アル・ユールス・エンド・ヒズ・フロリダカレヂアンス」「巴里ムーランルージュ楽員」がこれまた明快なリズムとソロパートを惜しまず放り込んだ演奏で、ダンス客の足元に弾むような活力を与えてくれます。おや、今夜は徳山佑肇悒譽鷆當、山田道夫ぁΩャズソングを歌ってゆぁ・うですよ。ゥ
あっ上海から飄然と日本を訪れたミッヂ・ウィリアムスがゲストで珍しいナンバーを歌うようですよ。それからアル中寸前のマデレイヌ藤田の小唄も運がよければ聴けるかもしれません。東京に点在するダンスホールを覗けば、すっかり西欧化したアトラクションで日系歌手のヴォーカルをふんだんに楽しむことも出来ます。埼玉の蕨町(現・蕨市)までタクシーをはずめば、ダンスホール「シャンクレール」でディック・ミネが道楽でつくったジャズバンドの凄いスウィングを聴くこともできますよ!
(※写真は本文と関係ありません)
夜は日劇のグランド・ショーを観に行きましょう。当代一流のタップダンサー荻野幸久が華麗な足さばきをみせる「サンフランシスコ」や、日劇のスター小山キヨ子を東京土産に観ていくのも悪くはありません。小山キヨ子がのちにテレビにも出演して丹下キヨ子になるなんて、昭和14年のいま誰が想像するでしょう?彼女が歌うアメリカの映画主題歌「虹の唄 “Rainbow on the river”」の個性的なハスキーヴォイスには、わくわくと高揚してしまいます。
いや、それとも昭和15年16年あたりに日比谷公会堂や東京市下の映画館で盛んに行なわれていた軽音楽大会を覗いてみましょうか。斎田愛子の「国境の南」や笠置シヅ子の「セントルイスブルーズ」は戦争直前から直後にかけて実演でしばしば聴かれたナンバーでした。後者は服部良一が数種類のアレンジを笠置シズ子に提供していましたが、レコードで聴かれる四部混声合唱付きのアレンジは松竹楽劇団のショウのために編まれたバージョンで、ガーシュインの「ポーキーとベス」に出てきそうなサウンドのステージ効果はさぞかし立体的で壮麗だろう…と期待できます。
おしまいは〽さらば東京いとしの街よ と名残を惜しむ「東京ブルース」です。間奏で杉原泰蔵がカンカンと弾く”St. Louis Blues”が別れの涙をさそいます。この別れは東京を後にするという別れであるとともに、戦前のコスモポリタン・シティ東京への別れでもあるのです。
――――――――とまあ戦前の帝都でこのようなデートをしたら楽しいだろうなぁと夢想して組んだのがこの2枚組です。あなたならモダン都市大東京を舞台に、どんな物語を紡ぎだすことでしょう?

0